世界選手権を3連覇して、東京五輪の新種目スケートボードで一番金メダルに近いと言われている堀米雄斗選手。
そんな堀米雄斗選手の父親が金持ちで、1億円の家がアメリカにあると話題になっています。
お金持ちって聞いたら、職業や年収が気になりますよね。
この記事は、そんな堀米雄斗選手の父親がホントにお金持ちで、家がアメリカにあるのか、職業や年収にまで迫っていきます!
目次
堀米雄斗の父親と家族

堀米雄斗選手の家族構成は
- 父:亮太
- 母
- 長男:堀米雄斗
- 次男
- 三男
の6人家族ですね。
堀米雄斗選手は父親のスケートボードの影響を受けて、小さいころから週末になると公園に練習に行くという、家族全員でスケーター一家でした。
雄斗がまだ小さい時にね、毎週日曜に次男三男も連れて一緒にスケートに行ってたんだけどさ、で、たまに次男や三男の友達とかも一緒に連れてったのよ。
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堀米雄斗の父親は金持ちで、家がアメリカにある?職業や年収は?
堀米雄斗選手の父親はスケーターで職業は?

堀米雄斗選手の父親の亮太さんは、埼玉県出身です。職業は不明でした。
1974年10月11日生まれの46歳(2021年現在)
ご本人は中学1年の時に、友人誘われてスケートボードを始めたそうで、毎日のようにスケートボードをしていました。
父親が中学1年と言えば、1985年と言えば、映画「バックトゥザフューチャー」が大ヒットした年です。もちろん日本でも上映され、主人公が乗る「浮かぶスケートボード」が話題になりました。

そのころは、週末になると横浜や代々木公園にスケーターが集まり、お互い技を競っていました。ニュースでも取り上げられる社会現象でした。(スケートボードの歴史by 小島 秀彌)

父親の亮太さんもきっとこの映画を見て、インスパイアされたに違いがありません。
堀米雄斗選手の父親の亮太さんは、若いころは同じスケーターでした。
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堀米雄斗選手の父親の年収が凄い?1億円の家がアメリカにある!

さて、堀米雄斗選手の父親の年収が凄いんじゃないか?と噂になっています。
それもそのはず、堀米雄斗選手は何と21歳にして、アメリカのロサンゼルスに家を購入しているんです!
その画像がこちら
堀米雄斗選手のアメリカの自宅は、なんと6LDKで広さが200㎡!
さらに、敷地の広さが1800㎡なんだとか。
アメリカのロサンゼルスは、ニューヨークに次ぐ第二の都市で、国内屈指の大人気の観光地です。
ハリウッドやディズニーランドがあるといえば分かりやすいですね。
そんな大都市に家を買うって、どれくらいお金持ち!なんだろうって、思いますよね。
堀米雄斗選手もまだ成人したばかりですから、きっと親の援助だろう、というのが、堀米雄斗選手の父親の年収が凄い!なんじゃないかと噂になってる理由です。
ちなみにロサンゼルスの住宅売買の平均価格は約6000万円で、新築は少なく、ほぼ中古物件です。
7/26情報
東京五輪で見事優勝した堀米雄斗選手の豪邸は、なんと1億円でした!小さい頃らの夢だったようですね。

こちらがその豪邸です。


凄いですよね。さらに、練習場も完備

結局、堀米雄斗選手の父親の亮太さんの詳しい年収までは分かりませんでしたが、ホントに堀米雄斗選手の父親の年収が凄くて、アメリアに自宅を購入したのでしょうか
堀米雄斗選手の父親ではなく、母親がスポンサーか?
さらに、父親の亮さんがインタビューでこんな事を話しているので、母親がお金持ちなのかも知れません。
スポンサーは、、、ヨメ!
確かに、父親の亮太さんがお金持ちに見えるか、というとちょっと微妙ですね。
堀米雄斗選手の父親の年収より、実は本人の年収が凄かった!

父親の亮太さんの年収は分かりませんでしたが、堀米雄斗選手の年収は分かりました。
世界のトップスケーターの年収は?

堀米雄斗選手のようなプロスケーターは、大会賞金+スポンサー契約料が収入になります。
日本とは違って、海外ではスケボーはメジャースポーツで、なんと世界のトップスケーターになると、その年収額は数十億円と言われています。
では、堀米雄斗選手の年収はいくらなのでしょうか?
堀米雄斗選手、本人の年収は●億円!

世界トップスケーターの年収を比較してみると
ナイジャ・ヒューストン | SLS優勝5回 | 30億 |
堀米雄斗 | SLS優勝2回 | 推定10〜30億 |
トニー・ホーク | SLS優勝0回 | 10億 |
ライアン・シュクラー | SLS優勝0回 | 5億 |
SLSとは、堀米雄斗選手の自宅を購入したロサンゼルスで行われるスケートボード・ストリートのプロツアーである「ストリートリーグスケートボーディング」の略称です。
今のスケートボードの世界ランキングは
- 1位 ナイジャ・ヒューストン
- 2位 堀米雄斗
ですから、ランキングが堀米雄斗選手以下の選手より多い、最低10億以上と推定されます。
また、23歳で年収10億円ですよ、凄すぎますね。
きっと、ロサンゼルスの自宅は、堀米雄斗選手の自宅で自分で購入したんでしょう。まずは、堀米雄斗選手のスポンサーからです。
- HIBRID(スケートボードブランド)
- Division(スケートプロテクター)
- Inhabitant(ライフスタイルスポーツブランド)
- Be-in Works(日本で最初のスケーターズカンパニー)
- DVS(スケーター向けシューズブランド)
- CustomTrck(スケートボード関連)
- TUFLEG(スケートボードブランド)
- ムラサキパーク東京(ムラサキスポーツのスケートボードパーク)
- Triple Eight(スケートプロテクター)
なんと、過去のものも含めて、9社もありました。特に、スケートボード関連企業が多いですね。
やはり、国内外の大会で優勝しているので、期待させているのでしょうね。
堀米雄斗選手は熱血父親のスパルタで育った

堀米雄斗選手は小さいころから父親の亮太さんにスケートボードを教わりました。
でも、まだ堀米雄斗選手が小学1年生のころは、自分がスケートボード場に行く口実として、堀米雄斗選手を連れて行ったようです。面白い父親ですね。
まぁ、初めは雄斗に教えるっていうよりも完全にオレ優先。ヨメさんに対して自分が滑りに行く口実を作ってたってのもあるね。
inter style 2018.10.13
そんな堀米雄斗選手は、他の子供比べて一番覚えが遅かったようです。
それもそのはず、父親の亮太さんは、カッコいい技に走る周りの子供たちとは違い、基本しか教えなかったんです。ちょっと、かわいそうですが、小さな頃から基本をしっかり教えられたから、今の堀米雄斗選手がいるのでしょうね。
そんな父親の亮太さんは周囲から熱血親父に見られていました。
自分がスケートボーダーで経験があったから、とにかく毎度毎度基本を厳しく教えてたから
inter style 2018.10.13
その頃見ていた周りの人たちからは、何が何でもユウトをプロにする!っていう感じの熱血親父に思われてたかもね。
そんな熱血親父に育てられた堀米雄斗選手は小学5年生の時から海外のコンテストに出場するようになり、だんだんと父親以外のスケーターにスケートボードを教わるようになり、親は慣れしていきました。
当時を自分を振り返りながら、かなりキツイ言葉使いだったので、きっと周りの人たちからは、凄いスパルタ親父に見れていただろう、当時をふりかえっています。
そんな父親の亮太さんが一番大切に思は「自分の子供は天才だってことを認識すること」でした。
堀米雄斗選手を大切にする思いが、やがてオリンピック出場に繋がっていくのですね。
さて、いかがでしたでしょうか。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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