[ad01]
空港女性職員への暴行容疑で逮捕さてしまった村田兆治元プロ野球選手。
現役時代は、マサカリ投法で知られた名ピッチャーだったんです。当時の球界最速を記録し、一時代を築き上げました。
現役を引退して30年がたつ村田兆治さんですが、現在はいったどれくらいの球速が出るのでしょか。
この記事は、そんな村田兆治さんに気になる「現在」について、その球速や職業、奥さんやお子さんとの家族関係まで幅広く探っていきます。
[ad01]
目次
村田兆治の現在の球速は、122km(69歳)

村田兆治元プロ野球選手の現役時代は、その独特の投球フォーム「マサカリ投法」で有名でした。
全盛期の球速は、当時最速の150km超え。
今でこそ大谷翔平が最速162kmをマークしましたが、30年以上も前に150kmを超えたのは、村田兆治さんだけでした。
- 1949年、広島生まれ
- 身長181センチ、78キロ
- 1967年、プロ野球入り(ロッテオリオンズ)
- 1990年、現役引退
そんな村田兆治さんですが、1990年に現役を引退。
その後は、
- NHK解説者(1991年〜1994年)
- 日刊スポーツ評論家(同上)
- 福岡ダイエーホークスの投手コーチ(1995年〜1997年)
- 日本プロ野球OB13人で野球チームを発足(2005年)
- シニアチームの投手に復帰した。
と引き続き野球界で活躍されていました。
では、1990年に引退後、2005年にシニアチームで投手に復帰した時の球速はどれくらいだったのしょうか。
記録として残っているのが、2007年5月26日のシニアリーグ戦で記録した
球速135km/h
です。全盛期の150kmから15kmも落ちしてまいましたが、それそのはず、この時村田兆治さんは、なんと」58歳!
逆に58歳で100kmを超える球速を出してしまうですから、やはり怪物です。
その後、
- 2013年8月30日、球速は135km/h
- 2016年3月30日、球速は131km/h
- 2018年8月21日、球速は112km/h
2018年、69歳でもなお112kmなんで凄すぎます!
[ad01]
村田兆治の現在の職業は、離島甲子園名誉会長
村田兆治さんの現在の職業は、野球評論家として講演活動するかたわら、全国の離島を飛び回り、「離島の野球教室」を開催し、野球を通じた離島振興活動をされています。
2008年には全国の離島の野球チームを集めた「離島甲子園」を開催。その離島甲子園の名誉会長に就任しました。
村田兆治さんは、1992年からこの離島活動を行なっています。
「豪腕・村田兆治、島を行く」として、全国の有人離島をまわり野球教室などを通して離島の人々とふれあい、島おこしにも一役かっている。
講演依頼.com
外部と接触の少ない離島の子供たちに、「本物」を「現場」で見せることで、自分のレベルを知って、「もっと頑張ろう!」と夢を持ってもらうことが目的の大切な活動なんですね。
村田兆治の現在の嫁(家族)との関係は?
村田兆治のお嫁さんは、英語が堪能

では、そんな野球一途な村田兆治さんを支えてきた奥さん(嫁)とは、いったどんな女性で、現在はどうされているのでしょうか。
村田兆治さんの奥さん(嫁)は、淑子さんとおっしゃいます。
- 短大の英文科出身で英語が堪能
- 元航空会社の地上職員
英語が堪能な村田兆治さんの奥さん(嫁)は、村田兆治さんが肘を痛めた時、その治療のためにアメリカに渡り、村田兆治さんの通訳を務めたほど。
村田兆治のお嫁さんがドラマ化された
子育てをしながら、献身的に村田兆治さんを支え続けた奥さん(嫁)の淑子さん。
その後、そのエピソードが「サンデー兆治の妻」としてドラマ化され、話題になりました。
村田兆治のお嫁さんは、本まで出版した

さらに勢いの止まらない村田兆治さんの奥さん(嫁)は、なんと本まで出版していたんです。
子育てから夫婦生活まで妻と夫が思いのたけを「兆兆」発止。結婚して17年、村田家の台所をひとりでまかなってきた女房が、夫の世話から子供のしつけまで、知られざるエースの素顔を初公開。
「BOOK」データベースより
いや、さすが村田兆治さんの奥さん(嫁)ですね。スケーツが違います。
村田兆治の現在の子供(家族)との関係は?
さて、村田兆治さんのお子さんは現在、いくつで何をしているのでしょうか?
村田兆治さんには、息子さんと娘さんがいます。
- 息子さんは、電通勤務
- 娘さんは、テレビブロスの編集者
村田兆治さんの子供たちとの関係については、詳しい情報はありませんでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
[ad01]