乃木坂46の5期新メンバーが次々に発表され中、待ちに待った一般人だと話題になった五百城茉央さん。
「五百城」って、なかなか聞いたことのない名前ですよね。「いおきまお」と読むのですが、ネット上でも「凄い名前!」と話題になっています。
そんな五百城茉央さんですが、すでに小学校が「高羽小」中学校が「鷹匠中学校」とほぼ特定されているんです。
では、高校はいったいどこなのでしょうか?地元の高校の中でも「親和女子高等学校」が有力なようです。
この記事は、五百城茉央さんの卒業した高校は「親和女子高校」なのか、「高羽小学校や鷹匠中学校卒」なのは確かなのか調べていくとともに、実家の住所や名前の由来もお伝えしていきます。
目次
五百城茉央が乃木坂46第5期生に!

いよいよ8人目の発表がありましたね。今回は待望の一般人でした!
そのルックスから「センター来た~」「長身でモデルみたい」とすでに大盛り上がりですね。
兵庫県出身の五百城茉央さんですが、すでに小学校、中学校が特定され始めています。では、高校っていったいどこなんでしょうか?
五百城 茉央
MAO IOKI
年齢:16歳
出身:兵庫県
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五百城茉央さんの出身高校は”親和女子高等学校”?
五百城茉央さんさの出身高校の確定情報はありませんでしたが、すでに特定された高羽小学校、鷹匠中学校(後で紹介します)に通学した後、引っ越しをしなければ、そのまま地元の高校へ進学する可能性が高いですね。
そこで同じ学区にある高校をリストアップしてみました。
この中であれば、意外に特定が早いかも知れません。
ちなみに、五百城茉央さんの出身中学校である高匠中学校に一番近いのは、「私立親和女子高等学校」でした。徒歩9分、自転車で3分ほどなので、通学には便利ですね。
五百城茉央さんが通学した高校は、距離から言えば「私立親和女子高等学校」が最有力候補です。
また、偏差値から行くと「神戸高等学校」が71-77でトップになります。ちなみに、「私立親和女子高等学校」は60ですね。どちらも頭のいい学校です。(みんなの高校情報)
後に説明しますが、五百城茉央さんは神戸市育ちなので、お嬢様の可能性も高く、その線からも「私立親和女子高等学校」に通ったと思ってよいのではないでしょうか。
この私立親和女子高等学校は、神戸親和女子大学の付属校です。

神戸親和女子大学は兵庫県で1,2を争うお嬢様学校で、女優の藤原紀香さんの母校でもあります。

藤原紀香さんは親和女子高校から進学されたんですね。生粋のお嬢様として知られていますが、実は芸能界入りは両親に猛反対されたとか。
五百城茉央さんも今回のオーディションに合格していなければ、そのまま神戸親和女子大学に進学して、藤原紀香さんの後輩になっていたかも知れません。
五百城茉央は高羽小学校区!書道と絵画が得意

五百城茉央さんの名前って珍しいですよね。日本で50人しかいないようです。ということは、ほぼ本名で間違いないですね。
ヤフーで「五百城茉央」と検索したところ、すぐに小学校の情報が見つかりました。
検索結果から判明したのは、五百城茉央さんが小学校在学時に入賞したコンクールの結果でした。
『第20回神戸税関絵画・書道コンクール(2013年)』「小学校2年生の部」で入賞しているようです。


こちらに「高羽 五百城茉央」とありますね。
おそらく、日本で50人しかいない五百城(いおき)の名前なので間違いないでしょう。
この他に絵画の部でも入賞していました。
このコンクールが行われたのが2013年だったので、現在16歳の五百城茉央さんの年齢とも一致していました。
五百城茉央さんは書道と絵画が得意だったんですね。
こちらが、五百城茉央さんが通っていた高羽(たかは)小学校です。

- 1938年(昭和13年)開校
- 在籍児童数:1209人 (令和3年5月現在)。
- 学級数:1年生5クラス2~6年生までALL36クラス
この高羽小学校の教育方針は、
豊かな感性をもち、自ら考えてねばり強く行動する子を育てる。
です。
こんな小学校で育った五百城茉央さんも、きっと個性豊かな感性の持ち主で、私達を楽しませてくれることと思います。
五百城茉央は高匠中学校卒!卒業生に有名人多数
五百城茉央さんは、高羽小学校を卒業して、そのまま同じ学区の中学校に通ったとすると、こちらの「神戸市立鷹匠(たかしょう)中学校」に進学することになります。

ここ鷹匠中学校からは、有名人が卒業しています。

そうなんです、戸田恵梨香さんなんです!凄いですね。右側は高校の卒業アルバムですね。
その他
- 土井正三 – 元プロ野球選手
- 中坂勇哉 – プロサッカー選手
- 元宝塚歌劇団娘役
- 三浦拓也 – ギタリスト
などなど、さすが神戸市灘区の学校ですね。
五百城茉央さんの中学の部活は陸上部?
五百城茉央さんは絵画や書道が得意でしたが、部活は何をやっていたのでしょう。
Twitterでは、絵画や書道のように兵庫県中岳陸上競技大会の記録があったようなので、陸上部に所属して、毎日部活動にいそしんでいたのでしょうか。
五百城茉央の実家は兵庫県神戸市灘区育ちでお嬢様

五百城茉央さんが通っていた高羽小学校は、神戸市立の小学校でした。
ということで、五百城茉央さんは少なくとも小学校時代は神戸市灘区で育ったことになります。
神戸市灘区と言えば、瀬戸内海に面し六甲アイランドやポートアイランドに近く、六甲山を望む高級住宅地と文化地区で知られるオシャレな街です。


そんな神戸市で育った五百城茉央さんはお嬢様だったのではないでしょうか。
五百城茉央の祖父はお菓子メーカー社長?

Yahooで「五百城」と検索をすると「五百城ニュ―トリイ株式会社」がヒットしました。
こちらは同じ兵庫県ですが、お隣りの姫路市にある老舗お菓子の製造メーカーです。
なんとこの会社は大正11年創業で、創業者は五百城寅仁郎という方です。
ひょっとすると、この方が五百城茉央さんの祖父かもしれませんね。親戚筋なのは間違えないでしょう。
何せ、日本に50人しかいないのですから。
五百城茉央の名前の由来は?

最後に、この「五百城」という珍しい名前が気になりますよね。
日本でたった50人しかいないのであれば、全員親戚でしょうか。(笑)
時代は不詳ですが、兵庫県姫路市亀山に広く分布していて、古代天皇に関係しているようなんです!
皇紀からでは弥生時代の景行天皇の皇子である五百城入彦皇子の御名代部から。五百城(木)は本来はイフクと読み、古代日本における大豪族
日本姓氏語源辞典
何だか凄そうな名前ですね。
さて、いかがでしたでしょうか。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。