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安倍元総理事件の容疑者である山上徹也。事件から数週間が経ち、いろいろな情報が報道されていますね。
山上徹也の年齢は41歳と報道されていますが、生年月日はいつだったのでしょうか。
この記事は、そんな山上徹也の生年月日を調べつつ、生い立ちから経歴まで時系列で追っていきます。
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目次
山上徹也の生年月日は1989年9月○日!

山上徹也の生年月日は
1980年9月(41歳)
でした。(週刊文春2022.7.13)
最後の”何日”までの情報はありませんでした。
その42年後に、山上徹也は安倍元総理事件を引き起こします。
報道では、統一教会にのめりこみ、1億円もの献金をして家庭を顧みなかった母親のことばかりクローズアップされていますが、その生い立ちから人生を振り返ってみると、決してそれだけではない、壮絶な人生が見えてきます。
まずは、山上徹也の家族構成をご紹介します。

山上徹也の家族は、
- 父(自死)
- 母(統一教会)
- 兄(自死)
- 次男(山上徹也)
- 妹
すでに、父親と兄が他界、母親が統一教会に傾倒、妹からは見放され、全てを失って事件に至りました。
そんな山上徹也とその家族は、いったどんな生い立ちだったたのでしょうか。
では、山上徹也の生い立ちからその後の経歴を時系列で見ていきましょう。
家族についての記事は、こちらをご覧ください。
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山上徹也の生い立ち、経歴を時系列でまとめ!本人もベンジンで未遂を!

【生まれ~家族崩壊まで】中学はバスケ部、母親が統一教会へ献金
1980年9月、山上は奈良市内で次男として生まれる。
1987年4月、地元の小学校に入学。
1993年4月、地元の中学校に入学。バスケットボール部に所属。3年でレギュラーに。「勉強ができる優等生」「努力家」と友人。ブルーハーツが好き。
1994年、中学二年の時に、母の統一教会への巨額献金が山上家に知れ渡る。
オレが14歳の時(九四年)、家族は破綻を迎えた。

【高校入学~自死未遂まで】有名進学校卒業後、ベンジンを大量摂取で

高校入学から〜
1996年4月、郡山高校に入学。偏差値70の進学校。応援団に入部。「彼はとにかく大人しく、物静かな子だったけど、話しかければ笑顔で返してくれた。いつもひとりで、友達がいるイメージがあまりない。そんなだから、応援団に入ったのは結構意外やった。」(友達)
1996年7月、母親が統一教会に献金するために、自宅を売却して、一家は揉めに揉めた。
「全ての原因は25年前(九六年)だと言わせてもらう。なぁ、統一教会よ」
1999年4月、公務員試験合格のための専門学校に入学。伯父に資金援助を受ける。その後中退。
2002年8月、海上自衛隊の佐世保教育隊に入隊する。同12月、呉海上自衛隊基地で実習部隊に配属。「入隊後、彼は船の実習部隊で上司とトラブルになり、上の学校に進めなかったのです。」
この頃から山上徹也は、自衛隊内でのトラブルが多発し、やがて孤立し、遂にベンジン50ミリリットルとアルコールを飲み干し、自ら命を絶とうとしました。
結局、混沌とする意識の中で自ら救急車を呼んで、一命を取り留めたんです。
2005年2月14日。自ら命を絶ったが、一命を取り留める。
【再就職~安倍元総理との出会いまで】統一教会への恨み

2005年8月、任期満了に伴い海上自衛隊を退職すると、翌月から測量会社でアルバイト。
2007年7月、さらに測量士補の資格を取得、同年十月には宅地建物取引士を取得。
2008年3月、ファイナンシャルプランナー(二級)を取得した。
2020年10月16日、奈良県内の派遣会社に登録し、京都府内の工場で働き始める。履歴書の趣味欄には「映画鑑賞、読書、PCゲームなど」とあった。
職場での山上徹也は、囲りが感心するほど黙々と勤務をこなしました。
週五日、勤務時間は朝八時から夕方五時まで。ポロシャツに作業ズボン姿でバイクや黒色の軽自動車で出勤。
無駄口を叩かず、プライベートを明かすことはありませんでしたが、翌年2021年の春、勤務態度に異変が起きたんです。いったい、何があったのでしょうか。
それは2021年9月12日、一本の動画がきっかけでした。

こちらは、統一教会系の「天宙平和連合(UPF)」の集会のビデオメッセージに出演する安倍元総理です。
「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」
安倍元総理が、統一教会と関係していたことが分かって、統一教会への恨みが、安倍元総理へと向かった瞬間でした。
事件後の取り調べに対し、山上徹也は
「母親が(統一教会の)信者で、多額の献金をして破産した。絶対成敗しないといけないと恨んでおり、団体のトップを殺害しようとしたが、接触が難しかった。安倍氏が団体とつながりがあると思って狙った」
と、統一教会への恨みから安倍元総理へと怒りの矛先が変わっていったことを告白しました。
山上徹也は統一教会の恨んでいたが、安倍元総理を恨んでいたわけではなかった。
統一教会の記事については、こちらもご覧ください。
【事件への系譜】

2021年10月、仕事場で作業場の手順を守らなくなり、十月頃には従業員とトラブルを抱えるようになってくる。
2022年4月、奈良市内の自宅マンションで自作の銃を完成させた。
2022年1月、殺意による高揚感は、おのずと職場との軋轢を生んむ。絶えない職場でのトラブル。
2022年4月、無断欠勤が増え、ついには「5月で退職したい」と。
そして、運命の2022年7月8日、事件が起こった。
午前10時10分、大和西大寺駅で佐藤啓参院議員が演説開始。
午前10時17分、安倍元総理が到着。
午前10時31分、山上徹也が素早く、安倍元総理の背後に駆け寄り発砲。




山上徹也は、その場でSPらに押さえ込まれ、現行犯逮捕されました。
逮捕後山上徹也は、母親と統一教会のつながり、統一教会への恨み、銃の製造など、事件の背景を少しずつ話し始めました。
山上徹也の生年月日は1989年9月!生い立ち・経歴を時系列でまとめ!

さて、いかがでしたでしょうか。
山上徹也は壮絶な人生を送っていましたね。
- 山上徹也の生年月日は1989年9月
- 高校は有名進学校に進学。その後専門学校へ。
- 父親の自死は、母親の統一教会への傾倒
- 自死未遂に原因は、母親の統一教会への献金で、ベンジンを大量摂取
- 安倍元総理には恨みはなかった
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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